学校沿革


|| 沿  革  ||
~中央小学校の誕生まで~
● 1852年 (嘉永5年)
「藩学講習館」
岸和田藩主(殿様)が、「藩学講習館」(中央校の一番古い校名です。)を上砂町(現在の北町の中央保育所のところ)につくったのが始めとされています。藩士がつくった学校では、武士の子どもしか入れないのがふつうでしたが、岸和田藩では、武士でない家の子も希望があれば入って勉強することができました。
● 1871年 (明治4年)
「岸和田学館」
武士の時代が終わり、新しい世の中の明治時代になりました。岸和田藩や藩主もなくなり、学校をつくるきまりができる前の年に「岸和田学館」という校名になりました。
● 1872年 (明治5年)
「泉州第15学区区学校」
学制(どんな町や村にも小学校をつくり、すべての子どもは6歳になったら入学して勉強をするという国のきまり)ができ、「泉州第15学区区学校」という校名になりました。
● 1873年 (明治6年)
「泉州第22番小学」
「泉州第21番小学」
「泉州第22番小学」(南)と「泉州第21番小学」(北)の2つの学校に分かれました。22番小学は本町(前警察署の横)につくられました。(この22番小学が、中央校の本校となっていきます。)21番小学は砂町につくられました。
● 1875年 (明治8年)
「岸和田本町小学」
「岸和田砂町小学」
第22番小学が「岸和田本町小学」、第21番小学が「岸和田砂町小学」と、それぞれの建っている町名のつく校名にかわりました。
● 1876年 (明治9年)
「岸和田南小学」
「岸和田北小学」
岸和田本町小学が「岸和田南小学」、岸和田砂町小学が「岸和田北小学」と、また校名がかわりました。
● 1881年 (明治14年)
「公立岸和田小学校」
「公立岸和田小学校分校」
岸和田南小学が本校となって「公立岸和田小学校」となり、大きくなりました。岸和田北小学は「公立岸和田小学校分校」となりました。小学校という名が初めて使われました。
● 1883年 (明治16年)
「大阪府南日根第ニ学区
岸和田小学校」
「大阪府南日根第ニ学区
岸和田小学校分教場」
「大阪府南日根郡第二学区公立岸和田小学校」とよばれるようになりました。分校は「分教場」とあらためられました。
● 1887年 (明治20年)
「大阪府南郡町村立
岸和田尋常小学校」
「大阪府南郡町村立
岸和田高等小学校」
本校に 「大阪府南郡町村立岸和田尋常小学校」と「大阪府南郡町村立岸和田高等小学校」の2つの校名がつけられました。小学校に高等小学校ができたのです。
● 1892年 (明治25年)
「大阪府町村立
岸和田尋常高等小学校」~誕生から現在まで~
岸和田町、岸和田浜町、岸和田村、沼野町の4つの町村が学校組合をつくり、高等小学校と尋常小学校をひとつにして、「大阪府町村立岸和田尋常小学校」をつくりました。
この学校までは、今の中央・城内・浜・朝陽校区に住む人たちは、みんないっしょに勉強していました。
● 1902年 (明治35年)
「大阪府泉南郡
岸和田尋常小学校」
1900年(明治33年)に国のきまりがかわり、小学校令が出されました。それにより、4つの町村の学校組合をやめて、一つひとつの町や村ごとに尋常小学校をつくることになり、今の中央・城内・浜・朝陽の四小学校に分かれました。
この四校は、1902年4月1日に「大阪府泉南郡岸和田尋常小学校」(現中央校が創立した時の校名)となりました。校舎ができるまでは、本校は旧岸和田尋常小学校の分教場と南町の梅渓寺を仮教室にして授業をはじめました。
尋常小学校玄関
岸和田尋常小学校の時の玄関
● 1903年 (明治36年) 7月15日に堺町の現在地に校舎ができたので、全学年が新校舎で授業をはじめました。(児童数384人)
● 1907年 (明治40年) これまでは、4年間、小学校で勉強すれば卒業ということになっていましたが、国のきまりがかわって、今のように6年で卒業となりました。
● 1908年 (明治41年) 6年間勉強することになったので、校舎を増築しました。
● 1909年 (明治42年)
「大阪府泉南郡
岸和田尋常高等小学校」
7年前に創立した尋常小学校に、高等科を置くことになりました。校名も「大阪府泉南郡岸和田尋常高等小学校」になりました。
● 1911年 (明治43年) 校舎を増築しました。 尋常高等小学校校門
岸和田尋常高等小学校校門
(大正6年頃)
● 1912年 (明治45年) 岸和田町、岸和田浜町、岸和田村、沼野町が合併して一つの町(岸和田町)になったので、四校の高等科は、みんな中央小学校の高等科に来ることになりました。
● 1918年 (大正7年) 運動場を広げ、校舎を増築(2階建)しました。
● 1923年 (大正12年)
「岸和田市
尋常高等小学校」
1922年(大正11年)11月1日に岸和田町が市になったため、学校も1923年2月1日に「岸和田市尋常高等小学校」と呼ぶことになりました。この2月1日を学校の創立記念日とすることになりました。
● 1924年 (大正13年)
「岸和田市
中央尋常高等小学校」
校名が「岸和田市中央尋常高等小学校」となり、ここではじめて「中央」の名がつきました。高等科は女子だけになり、男子は東光尋常高等小学校へ行くことになりました。さらに、朝陽尋常小学校区内の筋海町と、城内尋常小学校区内の五軒屋町が本校区内に入ることになりました。そのため、250人も児童数が増えました。
● 1931年 (昭和6年) 校舎を全面改築し、5月30日にできあがりました。どの棟も木造2階建てになり、泉南地区では初めてといわれる鉄筋鉄骨2階建ての講堂もできました。この講堂が現在も使用されている講堂です。
中央尋常高等小学校 昭和7年
岸和田市中央尋常高等小学校(昭和7年)
中央高等尋常小学校
校門(昭和7年)
● 1940年 (昭和15年) 城内尋常小学校の校舎が移転したので、10月1日から校区変更がありました。南町は城内校へ、宮本町は中央校へ行くことになりました。この年の児童数は1355人で、本校の児童数が一番多かった年です。 なぎなた訓練
屋上でのなぎなた訓練
(昭和15年)
● 1941年 (昭和16年)
「岸和田市中央国民学校」
昭和12年からはじまった戦争がますますはげしくなってきました。この年に国民学校令という国のきまりが定められ、「岸和田市中央国民学校」と名をかえました。
● 1947年 (昭和22年)
「岸和田市立中央小学校」
1945年(昭和20年)8月、戦争が終わり、国のきまりがまたかわりました。6・3・3年制の新しい学校ができ、高等科は中学校となりました。この年から、今も続いている校名の「岸和田市立中央小学校」となりました。一番長く続いている校名です。
● 1958年 (昭和33年) 戦後になって児童数がだんだん増えて、この年に児童数1342人、学級数27学級になりました。中央校で一番学級数が多くなった年です。
● 1964年 (昭和39年) 標準服ができました。
● 1968年 (昭和43年) 校舎の全面改築をすることになりました。この改築で木造校舎は鉄筋3階建の校舎につくりかえられ、運動場も広くなります。第1期工事として、鉄筋3階建9教室ができました。
● 1969年 (昭和44年) 鉄筋3階建7教室、給食調理室、便所などができました。
● 1970年 (昭和45年) 鉄筋3階建2教室、玄関、図工室、家庭科室、観察池、ブロック塀、通用門などができ、樹木の植樹も行われました。
● 1972年 (昭和47年) 音楽室、図書室、視聴覚室等ができ、昭和43年から行われた全面改築が終わりました。
創立70周年祝典が2月1日に行われました。
● 1975年 (昭和50年) 養護学級(現在の特別支援学級)「のびる教室」ができました。
昭和54年に「ことばの教室」ができました。(現在はありません)
昭和61年には「難聴学級」ができました。平成3年まで本校にありましたが、平成4年度より大宮小学校に移りました。
● 1982年 (昭和57年) 創立80周年祝典が行われました。 創立100周年 航空写真
創立100周年 航空写真
● 1989年 (平成元年) 東校舎を全面改装し、中央ルームができました。
● 1992年 (平成4年) 創立90周年祝典が行われました。
ランチルームが設置されました。
● 1998年 (平成10年) コンピューター室が設置されました。
● 2002年 (平成14年) 創立100周年祝典が行われました。
● 2012年 (平成24年) 創立110周年記念集会が行われました。
● 2016年 (平成28年) 新校舎(講堂兼体育館)竣工しました。